【NYひとり旅】ブルーノ・マーズ→ソール・ライターStudio→現代写真の巨匠ロバート・フランクを訪れる

この春NYのアーティストに日本で出会う機会が多く、なんだかあの街が呼んでいる気がする!ということでこの秋行ってきました、3年ぶりのNY。アメリカで舞台を主演したり、T.M StevensやDr. Johnといった憧れのミュージシャンと引き合わせてくれたり、常に人生の転機はNYにあり!今回はどうしても現代写真の巨匠ロバート・フランクさんにお会いしたくてNYへ‼︎

ノースキャロライナで開催されているブルーノ・マーズの公演を経由してNYに降り立った10日間のひとり旅は奇想天外に人とめぐり合う旅でした。帰国後は会社で役員へのチャレンジングなプレゼンテーションも大成功してほっと一息ついて2か月前を振り返り眠ったせいか、今朝NYでの日々を夢で駆け抜けました。生きていますが、走馬灯ってこういうことなのか⁉︎10月のひとり旅にタイムスリップ。

写真家A-CHANとブルックリンでお会いしました。ブロックパーティーも開催されていて街もリラックスモードな休日。気持ちの良い秋風に吹かれながら楽しく町歩きをしました。

それから数日後、今年Bunkamuraミュージアムのソール・ライター展で来日していたキュレーターのポリーヌと再会。国際写真センター(ICP)に所属していた彼女は今マグナムフォトで働いていて、マグナムフォト近くのホテルのラウンジで落ち合うことに。私はちょうどシャネルで開催されていたマグナムフォト所属のレイモン・ドゥパルドンの展覧会についてメディアでレポートしたところだったのでその記事をポリーヌは喜んでくれました。おしゃれなホテルのバーカウンターで好きな写真家やNYでおすすめの本屋さんを教えてくれて相変わらずフレンドリーなポリーヌ。素敵なエネルギーの彼女がご馳走してくれたオレンジジュースがおいしかった。ソール・ライター財団のマーギットとマイケルは超多忙らしくこの滞在期間に連絡を取る事が難しそうな中、ポリーヌが取り持ってくれ最終日にソール・ライターの現存するアトリエに行くことが叶いました。写真家ソール・ライターのBunkamura Museumでの動員数は8万人を超えるほどの超人気ぶり。

ソール・ライター アトリエ
ソール・ライター財団のマグリットとマイケル
ソール・ライター財団のマーギット・アーブとマイケル・パリーロ。

 ソール・ライターのスタジオにはいまだ世に出ていない写真がたくさん眠っています。ソール・ライターの死後も、ソール・ライター財団のマーギットとマイケルの尽力で写真の発掘・保管作業が地道に進められ、世界中で開催されるソール・ライターの展覧会の発信地はまさにここ。マーギットに写真データを見せてもらうと、その中に路上に佇むロバート・フランクの写真がありました。驚いてこの写真の経緯を彼女に尋ねると、ソール・ライターとロバート・フランクは同世代で、しかも近くに住んでいたこともあって、ばったり会った時にソールがロバートを撮った写真なんだとか。「私、今回ロバートさんに会いたくて来た旅なの」と言うと「すごく近いから行ってみるといいよ」と彼女は住所を教えてくれました。

イーストビレッジから10分ぐらい歩いて行き着いた場所は、私が初めてのNYで泊まった日系アパートメントホテルの隣であることにこれまたびっくり!NYに虜になった2006年、朝から晩まで自由気ままに過ごすブリーカーストリートの人々に憧れてこのエリアの住人といつか交流したいと思ったものでした。

ロバート・フランクのスタジオはひとけのない雰囲気で、さすがにいきなり呼び鈴を鳴らすのもな・・・じりじりと躊躇する心が湧き上がり、ならばエネルギー蓄えにひとまずランチといきましょう。

「このレストランの前を偶然ロバートさんが通りがかってくれたらいいのに」と思いながらおいしいイタリアンに夢中になっていると・・・窓の外にゆっくりスローモーションのように真っ赤なとてもオーラのある人がうごめいている。はっとしてそちらに目をやると、ロバート・フランクさんと奥様のジューン・リーフさんが手をひきあって歩いてらっしゃるのでした。

わ!

レストランの外に飛び出し「ロバートさん!?」と声をかけると、ロバートさんとジューンさんが一斉に振り返ります。「私、日本であなたが主演するドキュメンタリー映画の取材記事を書きながら、あなたの作品に触れるうちにどうしてもお会いしたくてNYに来ちゃいました。今日がNY滞在最終日。ちょっとお話できませんか?」おふたりともものすごく驚きながらも目を細めて喜んでくださり、「あなたは普段は何をしているの?」「どんな記事を書いてるの?」「どの作品が好き?」色々質問してくださいます。そして私の過去のフライヤーと私の顔をまじまじ見比べて(笑)

ロバート・フランクさんと奥さまで美術家のジューン・リーフさんと

「あら私の手と全然違う。きれいね」とジューンさんが私の手をとって握りしめてくださると、ロバートさんも「本当だ」といって手をとり、おふたりと手を重ねあわせ、ただただ幸せな時間が流れました。数十分ぐらいお話したかな。「Good Luck! Good Luck!」と微笑むロバートさん。

NYを発つ前「ロバート・フランクは気難しいしお年を召しているからもう絶対に会えない」といろんな方に言われました。

でも彼を追ったドキュメンタリー映画『Don’t Blink ロバート・フランクの写した時代』のローラ・イスラエル監督のインタビュー取材が決まってから、その事前準備で、今では入手できないロバート・フランク関連の資料を国会図書館で掘り起こすうちに、魂が震えるほどのエネルギーとインスピレーションを得て、どうしても会ってお話がしてみたかった。いちアーティストとしてもどれだけ勇気付けられたかお礼を言いたかった。そして自分で書いたこと、思い描いたことが一致しているかもご本人に会って確かめたかった。

「お膳立てもなく自力で出会えたならそれも神様が結ぶ縁かもしれない」と思って行った今回のひとり旅。最終日まで手がかりは皆無だったけれど、お会いすることが叶いました。もっともっと突き抜けてロバートさんやジューンさんのように自分の道を邁進したいと今は強く思います。

別れ際、「あなた名前はなんていうんだっけ?」妻ジューンさんに聞かれて名刺を渡すと何度も名前を反芻してくださいました。

ロバートさんのスタジオにたどり着いた時に、腹ごしらえに選んだお店があのイタリアンではなく、最初に行こうと思っていたレストランだったら?(←でもそこはたまたま閉まっていた)ちょっと出直してあたりを散策していたら?狭いようで広いNY。「皆が難しいというのだからそうなのだろう」と諦めていたらお会いできなかったな。パズルのピースが本当にぴたりとはまる瞬間というものがあるものなんだ。

ロバート・フランクの大切にしている信条で「直感的であること」「自分の境界線を越えて新しいものを目指すこと」の大切さを実感した旅でもありました。

足を運んで、自分の目で見て聞いて感じ取りたい。熱心に心を込めて書いた記事だっただけに最後までその思いに忠実にいられたことは幸運です。

そして私の生き方も、彼の作品や生き方に触れて強くなったような気がします。孤独も愛せるようになったかな。やっぱりやりたいことはやろうと。たとえ人にその時理解されなかったとしてもね。自分の信じることをやる。それが大切なんだ、きっと。